淡路島のだんじり
     ホ ー ム  |   IT学習帳  |   単語?                     2020.5.17  
-淡路島だんじり
 +八幡の祭り
   +だんじり巡行
 +だんじり唄
 -だんじり飾り
   大改修
  +組み立て
 +明石パレード
 
 
 だんじり飾り

 写真は、南あわじ市 賀集八幡神社(かしゅう やわたじんじゃ)の祭礼に集まった中の1台、生子(せいご)町内会のだんじりです。
 このだんじりは淡路では古い方に入ります。地区のだんじり歴史をたどると、明治維新の直前、慶応3年(1867)夏に本州で起こった大衆乱舞、「ええじゃないか」騒動が淡路島に及んできた11月24日に、自凝島(おのころじま)へ繰り出したのが生子のだんじりだとある。たぶん、今のような布団はない、太鼓台(先代)に担ぎ棒を付けたものだったのだろう。
 今のだんじりは、その騒動から15年後の明治15年(1882)、彫師「斉藤萬琳斎」の彫り物を新搭載して出来たとされている。築でいうと130年(2012年現在)になる。
 資料によると明治15年製は、生子を含めて5台ある。それより古いのは見つからないので、この5台が淡路島で一番古いといえる。
その後、次々と淡路島内に普及して行き、昭和になったころは、かなりの数になった。生子のだんじりも築50年を過ぎた昭和10年(1935)に大改修された。当時、尋常小学生だった叔父が、改修後、1番乗りの乗り子として太鼓をたたいたと、教えてくれた。
 そして太平洋戦争が始まり・終わってからも、だんじり祭りが続けられて、日焼けで布団の色がくすんでくる。その都度、紅いラシャ布地を取り替えるが、水引幕や提灯は高価なので使い続けた。水引幕も70年以上経つと古さが目立っていた。そこで今回(2006~2011)、骨組みと彫り物を残して、6年がかりで他のすべてを新調した。
 担ぎ棒・太鼓・提灯・水引幕・金綱・布団・布団締め・御幣などすべてを新しくして見違えるようになった。  目を引くのは提灯と水引幕の刺繍です。(各写真、クリックで拡大します)


改修後       2011年4月10日(日)撮影 
            ふ  と  ん (全部赤で5枚重ね)
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右後方から見たところ 前方から見たところ
新しい水引幕:「天の岩戸開き」(1,2,3,4とつながる1枚物です)
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1 『左』   2 『前』  
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4 『右』   3 『背後』  
 
改修前         2007年4月8日(日)撮影 
            ふ  と  ん (全部赤で5枚重ね)
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右後方から見たところ 前方から見たところ
古い水引幕:「韓のケツ童子」(1,2,3,4とつながる1枚物です)
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1 『龍 尾』   2 『童 子』  
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4 『金龍城』   3 『蛇(龍)』  

 目立つのは「水引幕」です。「水引」というと、祝い袋を結ぶ金や赤いひもが一般的ですが、だんじりの胴に巻きつける幕(上の写真)を、地元では「みずひき」と呼んでいます。 幕を豪華に見せるため、祝い袋とおなじ「みずひき糸」で刺繍(ししゅう)しているのです。正確には、水引幕というべきでしょうが。
 一方、幕の上の太いロープや、赤いふとんに掛けるロープはみずひきとは言わず、それぞれ「金綱(きんつな)」、「ふとん締め」と呼んでいます。  それにしても、幕の絵は誰が何をしているのでしょうね。こんな豪華なもの、誰が刺繍したのでしょう。むかしから、このだんじりは古いので特別視されていました。最近、幕が新調されて、絵柄が新しくなりました。
 新しい幕は、古事記や日本書紀で伝えられる神話の「天の岩戸開き」です。では、古い幕は「韓の撅(ケツ)童子」という、太古中国、4世紀(晋)の時代に書かれた小説、城を築いた蛇(じゃ)のお話だと、こちらの方が調査されていました。リンク先が閉鎖されていたので、調査された方のバックアップ・ファイルで再掲させていただきました)
 調査によると、「韓のケツ童子」物語が4つのシーン「龍尾」、「童子」、「蛇(龍)」、「金龍城」に分けて描かれているのでした。生子へ訪れたらしく、生子の水引幕の写真が載っていました。


補修後  彫り物  (彫師は左甚五郎の舎弟.斉藤萬琳斎)
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補修前 彫り物  (彫師は左甚五郎の舎弟.斉藤萬琳斎)
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 左と右が補修時に右と左に入れ替わっているようだが、意味は分かりません。


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