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だんじり飾り |
写真は、南あわじ市 賀集八幡神社(かしゅう やわたじんじゃ)の祭礼に集まった中の1台、生子(せいご)町内会のだんじりです。
このだんじりは淡路では古い方に入ります。地区のだんじり歴史をたどると、明治維新の直前、慶応3年(1867)夏に本州で起こった大衆乱舞、「ええじゃないか」騒動が淡路島に及んできた11月24日に、自凝島(おのころじま)へ繰り出したのが生子のだんじりだとある。たぶん、今のような布団はない、太鼓台(先代)に担ぎ棒を付けたものだったのだろう。
今のだんじりは、その騒動から15年後の明治15年(1882)、彫師「斉藤萬琳斎」の彫り物を新搭載して出来たとされている。築でいうと130年(2012年現在)になる。
資料によると明治15年製は、生子を含めて5台ある。それより古いのは見つからないので、この5台が淡路島で一番古いといえる。
その後、次々と淡路島内に普及して行き、昭和になったころは、かなりの数になった。生子のだんじりも築50年を過ぎた昭和10年(1935)に大改修された。当時、尋常小学生だった叔父が、改修後、1番乗りの乗り子として太鼓をたたいたと、教えてくれた。
そして太平洋戦争が始まり・終わってからも、だんじり祭りが続けられて、日焼けで布団の色がくすんでくる。その都度、紅いラシャ布地を取り替えるが、水引幕や提灯は高価なので使い続けた。水引幕も70年以上経つと古さが目立っていた。そこで今回(2006~2011)、骨組みと彫り物を残して、6年がかりで他のすべてを新調した。
担ぎ棒・太鼓・提灯・水引幕・金綱・布団・布団締め・御幣などすべてを新しくして見違えるようになった。
目を引くのは提灯と水引幕の刺繍です。(各写真、クリックで拡大します)
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